今日でも抗ガン剤の大半は、単なる毒薬なのだ(本体が死ぬより前にガン細胞が先に死んでくれることを狙っている)。
一クール最後の六回目はさすがに少し怖かったが、ここまでくれば毒食わば皿までのつもりで注射を受けた。
この副作用の困るところは注射した日や二、三日後までに強く現れるというのではなく、だんだんひどくなって、注射をやめたからといってすぐに治まらないことである。
つまり、いったん注射で身体に入れてしまうと、それまでの蓄積分とI緒になってしばらくは作用し続けるらしい。
やばいとわかっても回収することができないのだ。
しかも注射を刺したあとの静脈は十センチほど黒ずんできて、数週間は元にもどらない。
たぶん、高濃度の抗ガン剤に触れた血管内壁が障害されるのだろう。
わたしに使われた抗ガン剤は消化器ガン治療薬としては標準的な5−FUで、その細胞毒性を併用薬ロイコボリンによってパワー・アップするのが最近のゴールデンースタンダード、黄金の定番処方とされている(わたしが使った前年に健康保険適用されたばかり)。
これも考えてみれば、元々あまり効かないのに業を煮やして、もっと有毒なものにしてみたといったところではないか。
これは全身の中で細胞分裂が盛んな場所に有害作用をもたらす。
それというのも5−FUをはじめとする代謝桔抗剤は、細胞分裂の際に必要な核酸合成などを邪魔するからである。
ところが、細胞分裂が盛んなのはガン組織ばかりではない。
骨髄、毛根、消化管上皮、精巣などの正常組織も頻々と細胞分裂する。
ということはそのあたりも抗ガン剤の被害に遭うわけで、人によっては骨髄障害のために白血球や血小板がどんどん減ったり、毛髪がごっそり抜け始めたり、胃から大腸までの消化管が内側から爛れてきたりする。
わたしの場合は、最後のパターンらしかった。
下痢は催しだすと何度もトイレに飛び込まなければならず、何度かは自宅内でも間に合わず漏らしもした。
これでは家から出ることもできない。
そのうち胃のあたりといい下腹部といいシクシク痛みだした。
もちろん食は進まないし、夜もよく眠れない。
気力も低下してくる。
想像するとイヤなものである。
自分の胃腸の内壁がどんどん脱落していくのに下から新しい組織で補充されない。
あちこちで消化管が爛れて薄くなっていく。
このままでは、どこかで出血するか、あるいは穴でも開くのではないか、と心配になってくる。
実際、抗ガン剤の副作用のために死亡するガン患者は相当数にのぼるはずなのである。
ただ書類上、死因として副作用蓄積といった記載はされない(ただのガン死とされる)から、統計にのぼってこないだけなのだ。
もっとも、副作用で死ななくてもどうせガンでは死ぬのだから結果的には同じではないか、と言われると、今や一患者となった身としてはつらいものがある。
やはり、一服盛られて死ぬぐらいなら、身から出た錆ならぬ身から出たガンそのもので死ぬほうが納得しやすい。
抗ガン剤の副作用で早めに死なせるのは一種の安楽死というなら納得しないでもないが、「安楽」死はいくらなんでも実態と懸け離れすぎている。
副作用は決して「安楽」なものではない。
それなら、いっそ抗ガン剤など使わず青酸カリでお願いしたい。
さて、なんとか一クールを了えて二週間の休薬期になったが、注射をやめても十日ほどは副作用が続いた。
そのあと、ようやく下痢・腹痛が治まり食欲が出てきて生きた心地が戻りはじめた。
もう、そうなるとニクール目を再開しようといった蛮勇は湧いてこない。
あんな思いを繰り返す(だけならまだしも、ひょっとするともっと厄介なことになる)ぐらいなら、再発リスクが少々高くなってもいいや、と居直ってしまった。
だいたい、一クールだと無意味でニクールまでやれば完全に再発防止できるといったものではない。
もともと現段階で消化管固形ガンに著効を示す抗ガン剤などないのである。
せいぜい三、四人に一人ぐらいの割合で明らかに腫瘍が縮小する程度の治療成績なのだ。
それ以外の者は効果と副作用でプラスーマイナス、あるいは全く無効で副作用だけは一人前。
たくさんの被験者で試験をするから「やらないよりはマシ」という結果が出るのであって、個々人にとって抗ガン剤が有益か無益ないし有害かは、やってみなければわからない。
助かる人はあらゆる医療を拒否したにもかかわらず生き延びるし、助からない人はあらゆる手を尽くしても助からない。
それどころか、わたしは抗ガン剤治療による体力・免疫の低下、組織再生機能への介入などが、場合によっては別の場所に新たな発ガンをもたらす原因になるのではないかとさえ疑っている。
これは別に個人的見解ではなく、抗ガン作用のある薬剤や放射線は同時に発ガン作用も持つというのはよく知られた原則なのである。
なんといっても毒には違いなく、そのことを今回わたしは理屈だけでなく身体で実感じた。
統計上いくら抗ガン剤の延命効果が確かであるにせよ、個人的な感想からすると、苦しみながら何も手につかずだらだらと生き延びるより、手短かに効率よく生きて倒れたらすぐ成仏してしまうほうが有り難い。
本来、ガン治療の効果というのはQOL(生活の質)と生存期間の積で評価されるべきものである。
本人が生きるに値すると感じられる生活(つまり質)を、少しでも長く維持すること(つまり量)という両方が大切なのは当然だろう。
この質と量をかけ算した積が大きくならなければ意味がないわけで、片方がゼロに近づくようなら積も少なくなってしまう。
しかるに医者や研究者は測定しやすい「量」、たとえば腫瘍の直径や延命期間だけで治療効果を評価しようとする。
なんといっても彼ら自身はガンという病気を生きているわけではない。
他人事なら、寝たきりで何もできず呻吟していても三年生きたケースのほうが、一年間は一人前に活動して現世でし残したことを済ませたあと倒れ、その後三月ほどで急逝したケースより「治療はうまくいった」ことにしておいても差し支えない。
あるいは、抗ガン剤や放射線の副作用で苦しんでいても病巣が何センチか縮小すれば有効で、ふつうに生活できていても腫瘤の大きさに変化がなければ無効なのである。
この程度の差がたくさんのケースで確認できれば、画期的な治療効果として科学的に証明されたことになってしまう(実際には、もっと僅かな差であっても標本数が多ければ統計的に有効であると「実証」されるのだが)。
しかし、長く苦しんで何もできず無理に引き延ばされただけの余生のほうが、やるべきことを手早くやってさっさと退場してしまう短命な余生より価値があるなどと、誰が決めたのか。
誰が決められるのか。
おそらく本人以外にそれを決める権利のある人間などおるまい。
「細く長く」か「太く短く」かぐらいは本人に選択させるべきである。
一クールの終わり頃に採血した腫瘍マーカーの値では、CA一九−九は五で正常だったが、CEAが十一・四で、むしろ手術前よ旦局くなっていた。
ちくしょう、ガン細胞はまだ体内のどこかに潜んでいるようだ。
退院後に専門書を調べたら、わたしの場合リンパ節転移まであったからデュークス分類ではC段階(かなり悪い)で、大腸ガンの場合五年生存率は三十五〜六十パーセント、これでも胃ガンよりましとのこと。
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